Press "Enter" to skip to content

母親のなかにはあえて

教育も行いその両方から公衆道徳

菊池は、わかってしまったら興味がなくなることを指摘している。わかろう、わかろうとする姿勢の中に、喜び張りも湧きあがるということなのであろう。少し何かがわかり、見えてくる。その奥にはその底にはと体当たりするうちに、また少し見えてくる。わかればわかるほど、知りたいものの大きさと深さを知っていく、という成長の図式を、子どもに描かせたい。
歴史上の多くのヒーローたちは、人生には希望が不可欠と言う。
確かな希望の炎をわが生命に燃やすことこそ大事だというわけだ困難に打ち勝つには宗教学者として著名な岸本英夫氏は、アメリカでガンの宣告を受け、あと半年の命と言われた。生きる張り合いを失った肉体というものが、急速に衰えることを氏は知る。以来敢然と病魔に挑戦して論文を書きまくり、東大図書館長として長年の夢であった図書館の改築工事に情熱をふりしぼる。そして十年の寿命を延ばす。落成式が終わって間もなく氏は息を引きとったという。



子どもはすぐ
アンネの日記にもこうある
お父さんもお母さんも死んだに違いないし、もうわたしはうちに帰る目的がなくなった
この数日後、アンネの息は絶えている。
かを教えてくれている。
希望と目標を見失った人間が、どうなっていく希望がなければ生きていけないのが、人間というものだとわかる。そして、希望には与えられる希望と、自ら創造する希望とがある。与えられ、状況によって左右される希望はもろい。だから希望を創り出せるか否かは、人間の本質的な力を示していると言えよう。
だからこそ子どもには、自ら希望を創造していける人間になってほしいと願う。
持って生きていない父親には、希望を語れないことを肝に銘じよう。

  • 子どもに冒険させられる
  • 子どもの表情から無機性を感じると言う人もいます
  • 子どもにこう語ってやるべきです。

子どもに伝わらず

子どもが迷惑をするのは当然です希望を
あ父親は、二人目の母親ではない子どものひとり立ちは、自分で苦労した分しかできない大学のとき、H教授がいみじくも語ったことを覚えている「砂漠の探検なんかやってみると、誰が本当に強いかよくわかる。
ならない部分を多く持つ者は、強い」
人に案内されて行ったところは、すぐ忘れる
自分の力で生きなければ人間とはそういう存在なのだろう。
学校を卒業してふり返ると、ほとんどのことを忘れ去っているのはなぜだろう。それは学校教育があまりに準備され、用意された中での学習であるからではないだろうか。だから私は教師時代、授業ではできるだけ子どもたち自身の頭、手、体、心を使わせて手づくりの味を出そうと工夫した。自分で苦労しながら調べた単語は忘れない。苦労して読んだ本のストーリーも、不思議に脳裏にこびりついている。
母親のなかにはあえて

子どもの気とにかく小学校時代、臨海学校で千葉の岩井海岸へ行ったことがある。そのとき担任の井上先生に君らで全部計画してみろと言われた。宿泊をともなう初めての行事の計画をつくるのに、私たちはねじりはちまきで取り組んだ。何日も何日も激論を戦わせ、ようやく計画ができた。本当に大変だったが、臨海学校をやり終えたときの充実感は最高のものだった。
あとでわかったのだが、井上先生は何カ月もまえから労苦を重ねられ、ご自分で計画を立てられ、それを表に出さず、子どもとの一致点を見出すべく、忍耐強く子ども自身の創意を引き出そうとされたのだった。岩井海岸での全生活は、いまだに心に鮮明に焼きついて、素晴らしい思い出となっている私の教え子で、外国へひょいと行ってくるH君という若者がいる。母親が、小学生のころのH君を一人で夏休みなどに実家へ行かせていた。はじめは青い顔をしていた彼が、みるみるうちにたくましい社会感覚を身につけ、私たちとははるかに隔絶したセンス
社会性を身につけていったのを思い出す。

子どもにはこち

中学校時代、抜群の生徒会運営をしたN君の手際は、当時同級生の私などから見てもまるで神業であった。何でこんなに違うのかと見当さえつかなかった。頭脳明晰、そして気品があった。バレー部の活動にしても、それは生き生きとしていた。弁当のおかずなど質素そのものでありながら堂々とした食いっぷりで、誰よりもおいしそうに食べていた。
彼の家を訪ねたとき、二度驚いた。あばら家であったが、家の中は整然としていて、病床におられたお父さんが「栄太君、ぜんぶ自分の力でやるんだよ。それがもっとも尊いことなんだ」
めいせきと言われた。
その言葉には威厳があり、あたかも大王の言のごとく反発できない重みが今思ってみると、あの素晴らしいN君の輝きの陰には、やはりあの親ありて……ということを強く思う。
子どもは学ぶことや遊ぶことを通して

子どもの目の色

母の言いなりになる夫教育といっても、究極は自己教育につきる。いかに自分自身を教育しきっていけるか、鍛練していけるかという自己教育力である。この点に徹する強い集中力
を持つ人間にはかなわないものだ。子どものときに、それを実践する姿勢を確立している子は幸せだ集中力を養うことの必要性を自覚し親も含めて子どもの教育にあたる者が、そのためには、である。
次の三つを自覚することが必要第一は、学べば学ぶほど、鍛えれば鍛えるほど
人間存在が高まり、深まっていくということを素直に認識すること。第二は、努力するということにおいて、本質的に報われないということはないと思うこと。