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教育について考えさせられました。

大学に入る

星の観察と聞いただけで、歓喜に心を震わせる子がいる。宮沢賢治の作品を読んで、絶対に人を傷つけないと固く決意する子もいる。椋鳩十氏の文を読み、生の尊厳に酔いしれる子もいる。跳び箱を跳べない子に手とり足とりコーチする中から、教えることは学ぶことだと確信する子もいる。
子どもの楽天性は、万物に対し、肯定から入る。流転する万物に対してである。流転を肯定する優しさをも備えているのが、子どもなのだ。だから親は、厳しい愛情のみではなく、それもいいあれもいいと、子どもの試みに対する挑戦意欲を喚起し、子どもがいつもガッツポーズがとれるような関わりを持つべきであろう。
その中で子どもが新しいことを試みることができれば、これほど素晴らしいことはない。

先生が人並みにオシッコなんかたれてはたまらない。何かをなさねばの観念、挑戦する姿勢がなければ生きる意味がないことも、肌で、生命で知っていくのだなぜ、無表情に席を奪うような子どもが育つのか以前、バスに乗ったときのことである。あるバス停で、某名門校の校章をつけた男子中学生が乗ってきた。そしてその中学生のまえに、お年寄りがいた。その老人が相当の高齢と見えたので、私は席を譲ろうと立ち上がった。すると次の瞬間、全く予期せぬことが起きたのであるなんとその中学生が、老人を横へ払うようにして、私が老人に譲ろうとした席に座ってしまったのだ。老人は、幸いにして倒れはしなかったが、何とも寂しそうな表情で立っていた。

  • 成績を見てカッカとしてしまうでしょう。
  • 子どもらしい内面をそのままに現すことができる
  • 母校にこそ戻らなかったけれど

学習で効果を出しやすいとも言えるでしょう。

子どもをよく見ていればちょ一瞬、私は何ということをと思ったが、ひとまず気をしずめて、中学生の様子を見ていた彼は、ケロッとした顔でカバンをあけ、英語の単語帳を取り出すと、暗記の練習を始めた。しばらく彼の表情を見つめていたが、ついに老人を一顧だにすることはなかった。私はしばらく思案したが、やはり言ってあげることが彼のためになると思い、話しかけた。
「君も勉強は大変だろうが、このお年寄りに席を譲ってくれないか。私はこの方に座っても
らおうと、席を立ったんだ」
彼は立ち上がった。そして、また視線を単語帳に向けた。

学校でもっとこういうことを教えてくずうっと無言であった。
私は、背筋にゾッとする寒気を覚えた。彼の無表情な顔を見つめると、人間というより
日本の国は機械に見えてならなかった。
だろうと正直思った。
無性に悲しかった。
どうなっていってしまうのその一日は、この出来事が頭から離れず、あの中学生がかわいそうでならなかっ作家、芹沢光治良氏がモスクワを訪れたときの話を挙げてみよう。
氏が地下鉄に乗車すると、目のまえに座っていた青年がいっせいに立ち上がり、氏に着席を勧めたそうである氏は、なぜ、みんながいっせいに立ち上がったのかと、理由を問うた。一人の青年が答えた「私は、長生きしたいなどと一度も思ったことはなかったのですが、結婚して子どもが生まれました。

両親を見て育つと娘

そして子どもの寝顔を見ると、かわいくて、一日でもこの子のために長く生きてやろうと考えるようになったのです」
ことわざそして、ロシアに昔から伝わる諺を教えてくれたそうだ。いわく長生きをしたかったならば、年寄りを大切にせよ。続けてだからみんなが、お年寄りを大切にするんです
と語った。なんと愛らしい青年たちであろうか。
思うに、日本の子どもたちや青年たちは、自分で自分の道を切り開く生き方を、本当の意味で環境的に保障されていない。現実には、その多くが、親や社会が敷いたレールの上を走ることを押しつけられてはいまいか。そしてそのレールの上を走れない者は切り捨てられ、落ちこぼれていく。

先生が話を始めても一向に聞く姿勢がない翔太君。

子どもに向かってしまったら気の弱いその持って行き場のない憤懣が、非行や暴力となって噴出しているふんまん私は、日本の教育が機械化画一教育から創造力重視個性化考える教育
へと価値観を変えぬ限り、教育の荒廃が社会の蒯壊へと転移するだろうと思い、それを心底恐れる。バス車中の無表情の中学生は、大多数の日本の中学生の素顔であろう。
老人がそばにいたら、元気いっぱい立ち上がり、こぼれる微笑で席を譲れることに誇りと喜びを感じられるような子どもたちを、私は育てたい。社会の蘇生は、こういうことから始まると信じるのであるそせい喜びの陰には、多くの人の涙があることを語れ子どもは親になった経験を持たない親は、子ども時代を経験している。


先生が人並みにオシッコなんかたれてはたまらない。 教育について考えさせられました。 子どもを産まない女