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子どもはついていけません。

母乳語である。

第三は、自らが持つ人間的弱さをよーし
なにくをと乗り越えていくために、この世における自分という存在の役割、使命を信じられること。以上の三つだ。
人間存在そのものを強く肯定し、前向きに子どもの価値を創造していこうという気持ちを、親が持てるかどうかが、子どもをひとり立ちさせる決め手になる。
さらに、これらの自覚が教育する側の単なる思い込みではなく、自己教育·自己鍛練,自己修正を通してつくりあげた、
思い込まずにはいられないところまでくれば、もはや信念であり、力だ。そこにはひとり立ちの風格がある父親は、子どもの真のひとり立ちのために、べきなのだ。
さまざまな荒波に子どもを立ち向かわせる
シンナー中毒のK少年と父の話
私が小学校の教師をしていたとき、近所に暴走族の少年Kがいた。男だが爪にはマニキュア、体が二つくらい入りそうなズボンをはき、奇抜な服装をしていた。頭の格好はビキニ島の水爆実験と言えば、わかっていただけるだろうか。
小学校三年生からシンナーを吸い、前歯は一本もなかった。父親はアル中。母親は蒸発。子どもはついていけません。子どもが心なしかしょんぼりしている。

母親への過大な依存傾向が浮きぼりにされた彼が愛

父親はシンナーは外で吸えと言い、周囲の人たちは君子危うきに近寄らずで、誰からも疎まれていたKがやってきたバス停でバスを待っていたときのことだ.
あんた、小学校の先公らしいね……気軽に声をかけてきてくれた。

そうなんだ。君も教師にならないか。
ぞ子どもを育てるって、大変だけどすごくハリがあるそのとき、Kの顔が一瞬けいれんした。が、すぐに
バカヤロー、先公になんてなれるかよ。おれがシンナー吸ってんの知ってたって、本気でとめてくれた奴いるかよ……「だから、君がシンナーの経験を活かして、日本中のシンナーから脱け出せない仲間たちを救ってほしいんだよ」
むらさき色の唇、トロンとした目、青白い顔色。
だが一瞬、表情が変わったように見え六聞くと、父親は毎日酒を飲んでは、「てめえの母親がバカヤローだから、父ちゃんの人生がメチャクチヤにされたんだ」の連呼だという。そして、自分の家柄がよく、世が世ならこんな生活はしておらず、自分の才能と力を見抜けない社会が馬鹿者の集まりであることを、三百六十五日わめき散らしているとのことであった。
とにかくシンナーをやめさせたかった。Kの体と、にしてしまうシンナーが憎かった。
心と、人生と、将来をメチャクチヤ
意を決して、父親に会うことにした。しかし、何回訪問してもグデングデンに泥酔していて話にならない。しかも酒を付き合わないと激怒するので、付き合わねばならなかった。


子どもが相槌を打つ。
子どもが相槌を打つ。

先生はいますごく年輩の人とほんとうに若い

子どもだからまだ早い焼酎のきついやつで、腹にしみた。あまり酒に強くなかったそのころの私にとって、それは苦痛以外の何ものでもなかった。
それでも懲りずに足を運んで酒を付き合う私に、父親がわずかずつではあったが、を開いてきてくれた。

おめえ若いのに、なかなか見どころあるじゃねえか……胸襟そういう言葉を私に投げかけてくれた。私のほうがジーンときてしまった。苦労をして心が通じ合えたときの喜びに匹敵する喜びを、私は知らない。とにかく理屈でなく、飲んべぇで世間から冷ややかな目で見られている一人の父親に、何とも言えぬ人間そのもの
がひそんでいたのだKは、あいつは自分ほど偉い人間は世界中にいないと思ってやがる……と父親をののしりながら、どこか父親に同情する面を持ち、絶対的に嫌っているふうには思えないところがあった。子どもの複雑な気持ちを理解しできるだけ上酒を飲んでいない状態で話し合いたいと何十回お願いしても、なかなか聞き届けてもらえなかったが、ついに、しらふの父親と話し合える機会がきた。ようやく願いがかなったのだ。失礼な言い方だが、なめくじが塩をかけられたように小さく背中を丸めた、人のよさそうな男がポツンと座っていた。
「お父さん、せっかくの楽しみを奪ってしまって申しわけありません。願いを聞いていただいてありがとうございます」
あくまでばつが悪そう私はお礼を言いつつ、奮発して買ってきた高級酒を差し出すと、にすまんねーを連発するのであった
お父さん、Kをシンナー遊びから救いたいんです!

先生私何かつかみました。

私は涙ながらに訴えた。Kが、心の底では父親をいじらしいまでに思慕し、父親がアル中のうちは自分もシンナーをやめるべきでない、という不思議な心理を持っていることその屈折した心理の延長線上にいる子に対して、父親そのものをさらけ出してもらいたいこと、客観的に見て、父親にそうふるまってもらう以外にKを救うべき道はないことを、全身全霊で訴えた。最後に一言、生意気を言わせていただいたお父さんほどの人なら、王者の酒を飲まなきゃ
父親のまゆ毛は、結果から言って、確かにそのとき震えていたKのシンナー遊びは、ある時期からピタッとなくなった。
父親は、私がお願いしたとおりに、しらふで自らの失敗談を、行方のわからぬKの母親に純愛を捧げる父親の泣き泣き十時間も語ったそうだ静かな絶叫に、Kは身震いするほどの感動を覚えたという。
おまえは00のチャンピオンと話してやれ1つの年度を終えるときに、私はクラスの子どもたち全員に、
君は00の優等生なんらかの称号を与えるようにしていた。
あなたはのチャンピオン
というように、すると、みんな本当にうれしそうな顔をしてくれる。


子どもは授乳のとき
子どもは授乳のとき

子どもは安心し聞き役

お世辞は通用しない。策をめぐらして子どもの歓心を買おうとする場合は、百パーセント失敗する。子どもというのは、本能的に見破る眼を持っているものだ。調子のいいことを言って子どもの鋭い視線に合い、みじめな思いをした経験を、私は何回か持っている。
そのたびに、子どもたちから心底喜ばれる自分をつくろうという願いを持ちつつ、努力
だけはしてきた。だから、必死で子どもたちを見る。
認めるのにやぶさかではないが、形式主義はいやだ。
私は、一定の形式や儀式の重要性を実感を大切にしたいと、常々考えて年度末、子どもに君は読書感想文のチャンピオン。すごいセンスだと言うときに、少しでも気恥ずかしさやうしろめたさがあったら負けだ。子どものことをしっかり見続けてきたとは言えないからである私はまず、この子が自分よりすぐれている点を見つけ出す。子どもの可能性を抽象的に言うことはたやすいが、それでは心底子どもを尊敬することはできない。
この点は、この子のほうが上だという実感がないと、偽りの尊敬になってしまう。それでは子どもとの真のつながりはできない。
だから、必死によい点を探す。あるわ、あるわ、いくらでも見つかる。それが、こちらがスランプのときには見えない。欠点のほうが目についてしまう。こうなると管理である。教育が明治以来とうとうと流れている


子どもはついていけません。 母さんに言われなくてもやるなんてえらいぞ 子どもを見ておくべき