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子どもたちは馬車馬のごとくわき目もふらず

父親は深くうなずく。

ハウツーものも多い。結論ばかり数ばかりの発想が幅をきかせすぎる。そしてくだらないダジャレの横溢。子どもは良質の文化に触れる機会が少ない。これで根源的な力は育っていくだろうか。
おういっ親の仕事については、ぜひこのパターンを破りたい。精一杯の自分史ンスであるお父さんはね、子どものときはシュバイツァーを目標にしたんだ
今、医療の器械を売る商売だけど、ただの金もうけだけじゃないぞ
を伝えるチャこう言ってあげるのだ。
その親の語りかけが、すぐには効果をあげることはなかろう。
だが子どもの心には、親
がその仕事を通し、病める者の本当の蘇生を祈りつつ汗を流すさまから、シュバイツアーを感じ取り、自分も何かの輝きを持つ人生を送っていくぞ、と決意するかもしれ父親は自分のかけだしのころの話をしてやれ狂言師の野村万作氏が、二十代のころだった。



子どもを産まない女
信州のある小学校の体育館で演じたとき落ちていたクギが足の裏に刺さった。
が、氏は平然とした顔で1曲やり終える修業の時代でもあり、狂言もその当時は疲弊のときだった。必死の日々だったそうである。舞台を終えた氏に対し、父の万蔵師は無言。だが、目が語っていた。

よくやったフォークシンガーの三上寛氏は言った。
「僕の父が死んでもう十六年にもなるけれど、いまだに父が死んだ日のことは、昨日のことのようにハッキリと覚えている。父は病気で死んでしまったのだけれど、通夜の晩に父の親友が来て、死んだ父を抱きしめながら泣いていた光景は、生涯忘れるものではない」

  • 成長してゆくのだと心得てください。
  • しつけの基本である
  • 子どものままでいたいと考える

しつけは人間が生きるうえでの知恵であ

母さんは互いに愛し合っているのだという前者の父親。
かっただろう。
わが子の足にクギが刺さったのを見て、とっさにクギを抜き手当てをしたが、目をつぶり、わが子の芸の大成を祈ることに徹する。
後者。三上氏は男同士の友情の素晴らしさを、心のカメラに焼きつける。
青春の輝きというものを、人生の大切な指針としているという。
この友情の持落語家の三遊亭円生師匠が、次のように話しているのを聞いたことがある「芸の相違、上手下手の違いは、下界から肉眼で見た星のようなもので、ほんのわずかと思っても、実際は何万光年も隔たっているものである」
芸という言葉を人生と置き換えてみたら、と考えたときに、身体中に電撃のようなショックを覚えた。男の世界と言ったら正しくないかもしれないが、社会の厳しさを思うジャン·ジャック·ルソーは言う。
子どもを産まない女

経験によってその人らしさはつくられていくのです。人間は二度生まれる、一度は存在するために、れる
もう一度は自分の人生を生きるために生ま子どもが生まれる。そして子どもが、自分の人生を生きるためにもう一度生まれる過程において、父親の役割は何なのか。父親も一個の人間である。生き続ける姿をさらせばいいのだ。脱皮していくさまを、そのまま見せればいいのだ。男の厳しい自己実現の戦いの後ろ姿を、子どもに垣間見せるのだ。そして子どもの全的発展を祈ればいいのである。
私が子どものときに父親が語ってくれた、こういう話がある。
シベリア出兵時のウラジオストックには野盜がいたという。父はピストルを持って町へ入ると、空へ一発ドカンと威嚇射撃をする。それでも逃げずに、塀にはいつくばって前進してくる者は、相当の剛の者だそういうときは気が引きしまったよ
いかくまだ見ぬウラジオストックの町並みを、何回も想像した。
心を装いながらも、
知ることを渇望している。
父親の青春を、子どもは無関自分で悩み、解決するための姿勢を語れ天井桟敷の人々という映画がある。

母の暗い気持をなぐさめたそんな私であって

フランス映画であるが、映画史上、番好きかといったアンケート調査がなされると、一位になることが多い。
どの映画が!
今見ても素晴らしいと思う。十八世紀のパリ、芸人たちの世界を舞台に、民衆が生き生きと躍動している。セリフといい、ストーリーといい、登場人物の動きといい、見る者を
うならせるものがある。
制作年は一九四五年。なんと、第二次大戦終戦の年だ。パリといえば、ナチスの占領下であった。その中で作った作品ということになる。この映画の輝きと生気を見るときに、人間の躍動や感性の高まりというものは、ぎりぎりの過酷さ、劣悪な条件下で出色の翼の広がりを見せるものなのかと思えてくる子どものころ、中学生のころだったか、父親がポツリともらした言葉が、心の片すみに滞留して消えない
戦争はもう二度といやだ。
子どもよりはえらいんだという傲慢な心

子どもと教師の関係にもあてはまります。

子供が謝らなかったのでしょうどうも普段はきちんあんなむごいものはない。だけど戦争が終わった日のあの胸に込み上げる生きる歓び、あれはすごいよ。宇宙を突き抜けていくみたいだったがいせその後、アイゼンハワーのニューヨーク凱旋のフィルムを見た。フィルムでさえ、戦争終結を喜ぶ人々の胸の渦潮は、こちらにまである種のさわやかな余韻を残した。父親の言葉とあの映像が、なぜか重なり合って仕方がなかった。
父親が何を言いたかったのか、ずいぶん考えた。私と父親は、五十歳の年の開きがあった。孫みたいな年齢の私に、どういう教育をしたかったのかはあずかり知らない。だがいろいろ言いたいことは言ってくれたが、それから先の課題への立ち向かいとか、解決への方法
などは、自分で悩み抜くしかないんだということを徹して訴えたかったようだ私がある年齢にさしかかったときから、父はよく何をやってもいい。