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しつけられていない

経験させるべきだ。

だが一切責任は自分でとるんだよと言っていた。失敗ばかりの私だったが、あえぎ、傷ついても、父が直接的な助け船を出してくれたことは一度もない。
プロ野球界で名監督の一人と言われている人に、ある評論家がどういう指揮をとるのが一番いいと思いますかと質問した。すると間髪を入れず、その監督は「やはり持ち駒によります。ベテランが多いか、鍛え抜かねばならない若手が多いかで、作戦·用兵·戦い方は変わってきます」と答えていた。私の父も、私というわがままで負けん気ばかり強いわが子に対しては、ある意味での放任主義をとることが、一番いいと考えたのであろう。
だから私は、父親の語った言葉をよく考えるよう心がけた。



子どもの心に届いてい
生きる意欲を、どう実生活の中で培い、磨きあげていくのかということを、父親は言いたかったのだろうと、今でも思っている。
就職のとき、父は私の職業についてこれがいいと考えていたものがあったようだ。
だが私は、小学校教師になりたいことを父に告げた。思惑と違ったのであろう。父の顔はなんとなく寂しそうで、しばらく目をつぶっていた。何分ぐらいたってからであろうか「栄ちゃん、やる以上は子どもに生命を捧げる気持ちで、子どもの中で死んでいく姿勢を忘れずにね」
と言ってくれた「子どもを愛する心の炎が天まで焦がすことができなくなったら、よう」
いさぎよく教壇から降り私はこのとき強く思った。
所詮は自己との戦いにつきるだろう。
エッセイストの吉野弘氏は言う。
「浄化の浄という文字は、サンズイに争うと書く。つまり水が争うと書く」
「流れる水は、いつも自分自身と争っている。自分自身と争う力を失ったときに、ず、人間も内部の雑多なものを浄化する力を失うのだと思う」
水に限ら自己と向かい合う姿勢自浄力を失った人間には、感動する心がなくなる。

  • 教育に走る
  • 伸びを妨げることさえあります。
  • 母親の影響力にはかなわない。

子供のわがままにつけこまれない強

子どもは美しい身のふるまいをします。主体確立の土台石はゆらぐ軌道修正する姿勢
子どものときに、やりたいこの姿勢の一つだけでいい、自己と向かい合う姿勢だけはつくって我慢と自己抑制なしに成功した人はいない·戦後、日本人の心からは偉人の偉大な精神が失われている。西行が消え、一休や良寛が消え、親鸞や松陰までもが忘れられようとしている。真夜中のコンビニには子どもや若者がたむろし、礼儀やマナーが喪失し、年寄りを大切にする気風はどこへやら、学校へ行く子どもの眼の光も弱い。
日本人の生活の中でこれでいいと思い続けてきた価値観が、次々と現象面で否定されていく。そんなに簡単に、価値観を再創造することなどできはしない。それでも生き続けねばならない。子どもを育てていかねばならない。不安と自信喪失は消えないままに子育てに立ち向かわねばならないというのが現実の姿だろう。
育て方は間違っていたのかもしれない

学校で習ったところよ。だから、どうしても甘やかしが根強く幅をきかせる。子どもを大切にという心情が甘やかしという形でしか対処できない状況を生み出している。生活に追われて、子どもと語り合ったり触れ合ったりする時間をあまり確保できないと、物や金を与えることでしか愛情を表現できないパターンになりやすい。逆に余暇をもてあます親も、やはり
与えの次元から出られないケースが多い。
神奈川県知事だった長洲一二氏は、かつてこのような教育をアピールした。
「私だって中学時代、酒やタバコにも手を出したが、そのなかで自己抑制の訓練を積んだ中略豊かな社会は自由な社会でもあるが、自由は厳しいもの。自己責任、他者との協力欲望の自己抑制が必要だが、葛藤が伴う」
この葛藤が、人間をつくり、強い精神基盤をつくる。だから、葛藤しにくい社会というのは、子どもにとって不幸だとも言える。皮肉に言えば、自己抑制のチャンスを奪われていることになる。一定の自己抑制が人間形成には不可欠であることも、深く認識する必要があるだが一般的に親というものは、学業成績のみに一喜一憂する傾向が大きく、大半の評価をここの部分で下してしまう。

学校ではないからとかいうことは許せないと思う。

だから子どもの葛藤の場は狭小になり、しかも一面的になるばかりだ。巨大な人間性の土台を培う土壌は、ますます脆弱化してくる。そこに、精神的に貧弱な子どもや自己抑制のきかぬわがままな若者ができあがっていくのだろうぜい発展途上国では、子どものときからその
労働力があてにされ、大人と同等の役割を担わねばならない。日本の子どもたちがいっまでも子どもでいられるということは、本来的には幸せなことだ。一面から見れば、それだけ可能性の備蓄ができるはずなのだだが現実には、そのための不幸な現象があまりにも多い。
我慢のできない若者の増大を指摘する識者もいる。我慢の味を知らずに育っている子も多い。我慢の必要のない世界が、日本にできあがっている。
教育について考えさせられました。

いじめられたりして

勉強してるわ。大学受験に付き添う親の姿も目につく。我慢ができなくても、いや受験勉強の我慢さえできれば、いいチのレッテルを貼る親が多い。そして壮大な人生という大ドラマを生き抜く、本当の力をつけるさまざまな我慢というものが切り捨てられていく人間の値打ちを決める観点、学力観なるものを変えていかないと、での力量は落ちていくだけだろう。
日本人の本当の意味我慢の価値を見なおそう。我慢の果たす役割を考えなおそう。より大きくより強い自分をつくるには、一定の自己抑制が不可欠なことを見すえよう。我慢と自己抑制なしに育った大人物は、一人もいないことを、子どもに語ってやろう。